京都ミステリー木島神社です
京都観光情報|2017.01.03 UP
ナイトフロントのY城で御座います。
元日は大賑わいの伏見稲荷大社をご紹介しましたが、本日は数ある京都ミステリーの中で最もミステリーな木島神社(このしまじんじゃ)へ行ってきました。
先ず木島神社ですが、「続日本紀」大宝元年(701年)4月3日の条に神社名が記載されている事から、それ以前に祭祀されていた古い神社であります。この嵯峨野一帯は古墳時代に朝鮮半島から渡来し製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた「秦氏」の勢力範囲、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、この神社は蚕の社(かいこのやしろ)とも呼ばれています。
では画像で神社南側にある鳥居です。手前の線路は嵐電嵐山線、左方向が嵐山となります。
お正月にも関わらず露天の出店は無くひっそりとした感じです。
最大のミステリーがこちらの元糺の池と三柱鳥居です。
元糺の池(もとただすのいけ)ですが、「糺」は「正しくなす」・「誤をなおす」という意味で、池にてみそぎや身に罪又は穢れのある時に心身を清める場所でした。土用の丑の日にこの池に手足を浸すと諸病にかからないという俗信仰もあり、毎年「足つけ神事」が行われています。下鴨神社に「糺の森」がありますが、こちらが元祖という意味(嵯峨天皇が木島神社から下鴨神社に移したという説がある)で「元糺の池」と呼ぶようになったらしいです。
元糺の池の奥にあるのが三柱鳥居です。
この神社は大陸からの渡来人である「秦氏」が関係しており、三柱鳥居の向きは秦氏が関係している3つの神社である「下賀茂神社」「伏見稲荷神社」「松尾大社」の方向を示しているといわれています。
また、本殿祭神の神座であり、宇宙の中心を表し四方より拝することができるように建立されています。三柱鳥居がいつ出来たのかは判っていませんが、現在の鳥居は享保年間(1716-1736年)に修復されたものです。一説によると、キリスト教の一派ネストル教の遺物ではないかとも伝えられています。
所で秦氏ですが、古代のムー大陸の住民でムー大陸が沈んだ際に現在の日本に移住、さらに現在のアジア大陸へと渡り、また日本へと戻り数々の神社を建造したと言われています。
ちなみに映画村で有名な「太秦」という地名の「秦」は、この地域を秦氏が支配していた事に由来します。
それ以外にも神秘的なスポットがあります。
こちらの社は洞窟の中にあります。
蚕の社・元糺の池・三柱鳥居・秦氏でネット検索しますとミステリーな話が山ほど出てきます。間違いなく京都最大のミステリーポイントです。